DAWN SPEECH DISCHARGE
山中 さわお(やまなか さわお、1968年12月7日 - )は、日本のシンガーソングライター。本名、山中 沢男(読み同じ)。1989年から2025年まで活動したオルタナティヴ・ロックバンドthe pillowsのリーダーで、ボーカル・ギターを担当。北海道札幌市生まれ、小樽市銭函育ち。
概要
the pillowsの楽曲のほとんどの作詞作曲を手掛けている。主に代表作としては、「ストレンジ カメレオン」「ハイブリッド レインボウ」などが挙げられる。DELICIOUS LABELでのオムニバスアルバムではソロ名義の楽曲が収録されている。また、米倉千尋やザ・コレクターズ、V6、PUFFY、つるの剛士など自身のバンド以外での楽曲提供もまれに行っている。
ギターは、2001年頃よりフェンダー・サイクロン[1]をメインに使用してきたが、2011年冬頃よりスクワイア・サイクロンを使用。なおボディーやネックの色を白と黒にリフィニッシュしている。DELICIOUS LABELに所属するnoodlesやmonokuroなどのプロデュースも手がけている。
右手首の内側に「斑霓」と刺青を施してある。斑霓は「ハイブリッド レインボウ」の意。趣味は浮世絵とTシャツ作り。ツアーグッズとしてそのつどTシャツを作成、販売している[要出典]。
ハロルド作石原作によるアニメ「BECK」の最終回で、the pillowsの楽曲「LAST DINOSAUR」「Advice」を演奏する架空のバンド『ザ・ヒーロウズ』のボーカリストとして声優に挑戦。キャラクターも本人に似せてあり、山中の自然なセリフ読みと相まってリアリティを醸し出していた。ちなみに真鍋を模したメンバーも同時に登場したが、セリフは真鍋本人ではなかった[要出典]。
ライブハウス「CLUB Que」を経営する二位徳裕が監督した映画『Colors of Life』(CLUB Que 9th Anniversary Film)では、「インテリヤクザ」という役柄で出演している。この映画には怒髪天の増子直純をはじめとしたCLUB Queゆかりのアーティストが多数出演しており、音楽監督はthe pillowsの初代リーダーである上田ケンジが担当している。
まれに「SAWAO SING ALONE」というソロの弾き語りイベントを行っている。
人物
名前の由来は、山中の生まれた1968年のメキシコシティオリンピック金メダルをはじめ、オリンピックで12個のメダルを獲得した体操選手の加藤沢男。山中の父親は彼のファンであった。両親は広島の出身で広島皆実高校時代に知り合った。父・有人(すみと)は元教員で、広島大学文学部在学時に同大学の校歌選定公募に最有力で入選、作詞者となっている(修正を加えられているので公式には広島大学選定)[2][3][4]。3人兄弟で、兄が2人いる。小樽在住の次兄もミュージシャンであり、「SPIKY BROTHERS」というユニットを組んで2000年〜2001年にかけて活動していた。また札幌在住の長兄の息子は、the pillows初代ベーシスト・上田健司の甥と同級生であるとの事。
曲中やファンへの呼びかけのときに発する「アウイェー!」が特徴的。ファンクラブの会報などの公式アナウンスでもこの表記が使われることもある。ライブで「ハイブリッド レインボウ」を演奏する際、最初に観客に「Can you feel?」と問いかける。また、「LITTLE BUSTERS」演奏の際には「カモン、リトルバスターズ!」、「Funny Bunny」では「I LOVE IT FUNNY BUNNY HEY!」と煽るなど、観客と一体になるための決め台詞を持っている。
ロックバンドであるthe pillowsの作品が、近年特に「ポップである」と評価されることについて山中さわおは、「これまでも常にポップなものをつくり続けてきたつもり」であると言い、最近は自分たちのそれが周りと一致してきたのではないかと語っている[5]。また山中自身にとってポップである条件とは「普遍的に良いもの」であることで、「ポップス」や「キャッチー」とは区別されるべきものであるという[6]。
結成当初、山中さわおのギターの演奏力に他のメンバーが不安を持ったことからギタリストとして真鍋吉明がthe pillowsに加入したことは山中本人も認めるエピソードであり[7]、山中さわおと真鍋吉明のツインギターがthe pillowsに欠かせないものとなった現在でも、ライブなどでは自らのギターを「僕のこれはネックレスだから」と表現するなどの自虐的なMCを披露して笑いを取ることがある(GOOD DREAMSツアー、神戸チキンジョージ(2004年12月19日)での発言)。またスリーピース構成によるTHE PREDATORSでは、山中のギタリストとしての実力も十分に発揮されている。
同期であるMr.Childrenのメンバーとは現在でも交流があり、特に同じソングライターである桜井和寿とは互いに存在を意識し合う仲であったとされる。桜井はデビュー当時the pillowsの影響を深く受けていた[8]一方で、山中は自分たちと対照的に売り上げや知名度を伸ばす桜井に対し「何かしらのコンプレックスを抱いていた」という[9]。しかし、Mr.Childrenがthe pillowsの代表曲「ストレンジ カメレオン」をカバーしたころから、互いの関係は対等なものになっていったとされる。Mr.Childrenのシングル「終わりなき旅」のC/W「Prism」は桜井が山中を意識して書いたものである[10]。
ROCKIN'ON JAPANの元編集長である鹿野淳とは誌上でthe pillowsのアルバム『KOOL SPICE』が酷評されて以来確執がある。山中はthe pillowsのファンクラブ会報やライブのMCなどで鹿野のことを名指しで幾度か批判しており、また音楽雑誌への怒りを歌った楽曲(「No Substance」)も存在する。the pillowsはそれ以後の数年間ROCKIN'ON JAPAN誌上には登場しなかったが、1999年に編集部からの働きかけにより「RUNNERS HIGH」のインタビューに登場、和解している(その際、山中は「ミュージシャンは音楽雑誌がなくてもやっていけるが、音楽雑誌はミュージシャンがいなければ成り立たない。その音楽雑誌がミュージシャンの作品を貶めるような記事を書くべきではない」といった旨の持論を展開している)。その後も2008年夏に開催されたap bank fesにthe pillowsが出演した際、鹿野が公式ウェブサイトに掲載する全出演アーティストへのインタビュー記事を執筆していたが、山中が鹿野のインタビュー依頼を断ったため、the pillowsのみがライブレポートの記事となっていた事がある(ライブレポート自体は鹿野が執筆)。[11]
フィッシュマンズのファンクラブ会員第一号である(本人談)。2008年11月8日放送のGGTVにて『フィッシュマンズのファンクラブ管理担当の知人がいて、その人を通じて「名誉会員」としての0番をもらったと』言明した。楽曲を作るときは、はじめに曲を作り、そのメロディーに載せて気持ち良い歌詞を書いていくスタイルである。頭に浮かんだ曲はそのまま忘れずに記憶していられるが、突発的な忘失を防止するために2000年代後半以降はICレコーダーを持ち歩き録音するようにしている[12]。
the pillowsのメンバー内では唯一普通免許を持っており(但しペーパードライバー)、シングル「彼女は今日,」のPVでは山中が車を運転するシーンがある。
来歴
1986年
地元北海道でコインロッカー・ベイビーズを結成。ボーカルとギターを担当していた。当時からソングライティングの才能を発揮し、楽曲の幾つかはthe pillowsに移っても演奏、録音されていた。
1989年
元KENZI&THE TRIPSの上田ケンジに「一緒にバンドを組まないか」と電話で誘われ[7]the pillowsを結成する。
1993年
the pillowsから初期リーダーであった上田が脱退。同時にバンドの主導権を山中が握ることとなる。
1998年
元MY LITTLE LOVERの藤井謙二、Mr.Childrenの中川敬輔・鈴木英哉と山中の4人で林英男というバンドを結成。山中がボーカルであるが、the pillowsとは全く別サウンドである楽曲が演奏された。
2001年
自身のレーベル「DELICIOUS LABEL」を立ち上げる。現在、noodlesやNINE MILES、monokuro、THE BOHEMIANS、シュリスペイロフなどが所属している。
2005年
GLAYのJIRO、ストレイテナーのナカヤマシンペイと山中の3人でTHE PREDATORSを結成。the pillows同様、ボーカルとギターを担当し、数曲の作詞作曲を施す。
2010年
初のソロアルバムを6月にリリース。
2016年
noodlesのyoko、Radio Carolineの楠部真也と山中の3人でベースレスのオルタナティブ・ロックバンドCasablancaを結成。楽曲は山中とyokoがそれぞれ単独あるいは共作で制作される。yokoがメインボーカルの曲では山中はギタリストやコーラスに徹する場合が多いが、山中がメインボーカル、yokoとのツインボーカルの楽曲も存在する。2016年に1stアルバム『Another Story』、2017年に2ndアルバム『BREAK AN IMAGE』を発表し、アルバムツアーやフェス等で活動している。
2023年
Base Ball Bearのベース・ボーカル 関根史織とのコラボバンド「さわおとしおり」を結成し、2023年10月28日に1stアルバム『Private loophole』を会場限定でリリースした。ドラムスにはCONFVSEの山﨑聖之が参加。
2025年
1月31日、the pillows解散。
the pillows[注釈 1](ザ・ピロウズ)は、日本のロックバンド[1]。1989年結成[4]。メンバーは山中さわお、真鍋吉明、佐藤シンイチロウの3人。ヒットチャートの上位にランクインすることは少ないものの、長期にわたって音楽活動を継続しており[5]、2000年代以降はアメリカ合衆国をはじめとした日本国外での人気も得ている[6][7]。音楽レーベルは自主レーベルDELICIOUS LABELに所属。過去在籍したメンバーに上田ケンジがいる。録音時やライブの際はサポートメンバーを起用し演奏を行う。
上田、山中、真鍋、佐藤の4人によって1989年9月16日に結成され、インディーズでの活動を経て、1991年5月21日にシングル『雨にうたえば』でポニーキャニオンよりメジャー・デビュー。1993年にリーダーの上田が脱退し、それに伴い表立った活動が休止状態になったが[8]、1994年にキングレコードに移籍し、本格的に活動を再開した。2006年よりエイベックス・エンタテインメントのtearbridge production、レーベルはavex traxに移籍。2009年には結成20周年を記念して初の武道館ライブを行った。2015年より山中主宰のDELICIOUS LABEL(販売元:キングレコード)に移籍。
2025年2月1日、前日1月31日の『LOSTMAN GO TO CITY 2024-25』KT Zepp Yokohama公演をもって3人での活動を終了し解散したことを報告[4]。また同時に、公式ウェブサイトおよびSNSなどは「the pillows monument」と名称を変更し、メンバー個々の活動を発信する場として継続すると告知された[9]。
来歴
the pillowsは、バンドの構成や楽曲の傾向から第一期(1989年 - 1993年)、第二期(1994年 - 1996年)、第三期(1996年 - 2012年)、第四期("末期")(2013年 - 2025年)に分けられる[10][11]。
第一期
1989年撮影
第一期とは結成日である1989年9月16日から初代リーダーであるベーシスト上田ケンジが脱退する1993年までの期間を指す。上田がバンドの主導権を握っており[12]、各メンバーの実力も発展途上の時期とされる[13]。
第一期KENZI & THE TRIPSの解散[14] 後、ベーシストであった上田ケンジはコインロッカー・ベイビーズのボーカリストであった山中さわおとの新しいバンド結成を構想した。その後KENZI&THE TRIPSのドラマーであった佐藤シンイチロウを誘い、またペルシャのギタリストであった真鍋吉明を加えて、1989年9月16日にthe pillowsが結成された[15]。the pillowsというバンド名は、結成時にメンバーが真鍋宅に集合した際、たまたまレコード棚にあったチェリーレッド・レコードのオムニバス・アルバム『ピロウズ&プレイヤーズ - Pillows & Prayers』に由来する[13][注釈 2]。バンド名について山中さわおは「自分は多様な楽曲を書くソングライターであるため、バンド名はジャンルを特定しない名前がよかった」と語っている[12]。「pillow」が日本語で意味する「枕」という文字はしばしばバンドを象徴する言葉として用いられ、同様に結成日を示す「916(9月16日)」という数字もグッズなどのデザインに用いられることがある[注釈 3]。
the pillowsはボーカル、ギターの山中、ベースの上田、ドラムスの佐藤の3ピースバンドとしてデビューする予定であったが、山中本人によると「僕のギターがあまりに下手だったため、ほかの2人が頭を抱えてしまい」急遽ギタリストをオーディションすることとなり、後に怒髪天の増子直純の紹介で真鍋が加入した[15][注釈 4]。
このようにして結成されたthe pillowsはインディーズで活動を始め、キャプテンレコードから2枚のミニアルバムをリリースした。1991年にはポニーキャニオンからシングル『雨にうたえば』でメジャーデビューを果たし、シングル2枚とアルバム2枚をリリースした。
第一期the pillowsの楽曲には目指す明確なジャンルや方向性はなく[13]、メンバー自身の語るところによれば「The Beatlesのように良い楽曲を奏でたい」という漠然とした共通認識のみが存在した[15]。
パンク・ロックバンドとして人気を誇った[17] KENZI&THE TRIPSの知名度もあって精力的にバンド活動を展開した第一期the pillowsであったが、一方でバンド内での音楽的なイニシアティブの相違は徐々に深まり、1993年にリーダーの上田が脱退するにいたった。第一期the pillowsは上田ケンジと山中さわおという2人のコンポーザーを有していたが[13]、それぞれの目指す音楽性やバンドの方向性には次第に不可逆的なズレが生じていたという[12]。リーダーを失ったthe pillowsは、レコード会社の移籍なども重なり、およそ一年間にわたって表立ったバンド活動が休止状態となった[8]。
第二期
第二期は脱退した上田に代わりボーカルの山中がリーダーとなって本格的に活動を再開した1994年から、1996年に「Tiny Boat」での失敗を機に活動方針の転換を図るまでの時期である。上田抜きの新たなthe pillowsを模索した時期であり、第三期への過渡期となる[15]。
上田脱退からおよそ一年間にわたって表立ったバンド活動が休止状態となっていたthe pillowsは、新たに山中をリーダーとし、ベーシストにはサポートメンバーとしてSUPER BADの鹿島達也を迎え本格的に活動を再開。しかし、売上低迷の打開策として招かれた某大物プロデューサーの持つ楽曲制作法に山中が相容れる事が出来ず(決して人間的に嫌悪していた訳ではなく、そういう方法もあるという一定の理解は示した上で)、レコーディング初日に反故した事から、ポニーキャニオンとの契約が破棄。その後、楽曲を評価してくれたキングレコードに移籍する事となり、鹿島達也の紹介によりプロデューサーにSALON MUSICの吉田仁が加わるなど、バンドの様相が大きく変わった[15]。第二期の間にシングル3枚とアルバム2枚をリリースした。
第二期the pillowsの楽曲は、新たにリーダーとなった山中がソウルミュージックやボサノヴァ風のテイストを取り入れたことによる[15] 多彩なリズム・アプローチとスタイリッシュなサウンドをその特徴とし[13]、ポップなメロディーを目指しつつも凝ったアレンジの楽曲が多く作られた[12]。
第二期のthe pillowsは山中が「売れることを凄く意識した時期」と語るように、周囲の意見を取り入れタイアップなどの商業戦略が積極的に試みられた[12]。しかし、望まれたほどの商業的な成功を収めることはできず、次第に周囲の考えと自分たちの求める音楽とのギャップに苦しむことになる[15]。特に1996年1月に発売した5thシングル『Tiny Boat』のセールスが低調に終わったことに対するメンバーの失意は大きく[12]、このことがきっかけとなってthe pillowsは第三期へと移行する。
第三期
第三期とは1996年6月の「ストレンジ カメレオン」発売以後、2012年の一時活動休止までの期間を指す。ロックやオルタナティブというスタイルを追求し[12]、現在のリスナーの多くがこの時期にthe pillowsを知ったとも言われるように[10]、緩やかに支持を伸ばし現在のイメージを確立した時期である。
6thシングルとなった「ストレンジ カメレオン」は、大衆的な音楽を目指すも失敗した自分たちを「まわりの色に馴染まない出来損ないのカメレオン」とたとえ[18]、それまでthe pillowsが築いてきた音楽やスタイルを大きく否定するものであった。そのため「ストレンジ カメレオン」の発売は、反対するレコード会社とメンバーの対立の中、半ば強行的に行われた[15]。また「ストレンジ カメレオン」を収録した5thアルバム『Please Mr.Lostman』は、メンバーにとってインディーズへの後退も覚悟した「音楽業界への遺書」であり[12]、同時にどんな状況下でも自分たちの信じる音楽を頑なに貫く[13] という決意のアルバムであった。
こうしてバンドの方向性を大きく転換したthe pillowsは、「ストレンジ カメレオン」がFM局のヘヴィー・ローテーションを獲得するなど[19]、次第に支持を集めるようになる。また逆境を共に乗り越えたメンバーやスタッフの間の結束はより強固なものとなったという[15]。続く6thアルバム『LITTLE BUSTERS』で山中が「初めてリスナーの方を向いて」「目の前の理解者に対する感謝の気持ち」を歌ったと語るように[12]、活動方針の転換を機にthe pillowsを取り巻く状況は徐々に好転していった。
その後、the pillowsはオルタナティブという手法を通じて、現在のロックバンドとしてのスタイルを確立していく[12]。この頃からサポートベーシストには鹿島達也に代わってTHE CHEWINGGUM WEEKENDの鈴木淳が加入した。
第三期the pillowsはオリジナル・アルバムの作成と並行してベスト・アルバムやB-side集をリリースし、2004年にはデビュー15周年を記念したセルフカバーアルバムとトリビュートアルバムを発表する[20] など、多様な楽曲展開を行うようになった。2006年末にはレーベルをavex traxへと移し、2007年にはキングレコード在籍時にリリースされたシングルの収録曲を網羅したシングル・コレクションも発売されている[21]。またDVDなどの映像作品やバンドスコアなどの書籍の発売も積極的に行うようになった。
2000年代以降は多くのファンの声に応え日本国外でのライブ活動も行っている。2005年のアメリカツアーを皮切りに、度々日本国外で公演やツアーを行い成功を収めるなど、アメリカをはじめとした日本国外におけるthe pillowsの人気はメンバー自身も驚くほどに高いようである[22][23]。こうした海外での高い評価は、そのほとんどがthe pillowsがテーマソングや挿入歌を提供したガイナックス製作のOVA『フリクリ』の海外での人気とともに得られたものである[24]。『フリクリ』は2000年から2001年にかけて放送されたもので、全6話中にthe pillowsの楽曲が20曲以上も使用されていた[25]。
2009年、結成20周年を迎え、『LATE BLOOMER SERIES』と称し、2枚のベスト・アルバムの発売や多数のツアー、動画サイトYouTubeを利用した全世界対象のカバーコンテストなどの企画に加え、更には初の日本武道館でのワンマンライブも行う。その翌月には16thアルバム『OOPARTS』を発表している。
2012年7月、公式サイトやファンクラブの会報などを通じて「バンドのメンテナンス&リハビリ」のため、一時的にthe pillowsとしての活動を休止することを発表。“解散に近い活動休止”と混同されないよう、山中は「休憩」と称している。その間、山中は3rdソロアルバム『破壊的イノベーション』を発表し、初のソロライブを行った。また、真鍋は初のギターソロアルバム『Rutile』を発表した。
第四期(末期)
2013年6月より、the pillowsの活動を再開することがアナウンスされた。
2014年、結成25周年を記念した企画『NEVER ENDING STORY』として、新宿ロフトにて元リーダーであり初代ベーシストの上田を迎えた第一期楽曲で構成されたライブ、2枚目となるトリビュートアルバムの発売およびその参加バンドとの対バンツアー、東名阪での第二期楽曲を中心に構成されたライブがおこなわれた。さらに10月4日にはアニバーサリーライブ『DON'T FORGET TODAY』が東京ドームシティホールにて開かれ、同月には19thアルバム『ムーンダスト』も発売された。山中は同アルバム発表時のインタビューで、2013年の活動再開後よりバンドが「“末期”」に突入したと宣言した[11]。第一期・第二期から第三期に変化した時ほどのサウンドの隔たりはないが、山中によれば、第四期は「オルタナティブを封印」した音楽性であるという[26]。
2015年3月、「ムーンダスト」ツアー最終日をもって長年サポートを務めた鈴木淳が長年の素行不良が原因で離脱[27]。
2016年4月、縁のある5人のベーシスト(上田ケンジ、JIRO(GLAY)、宮川トモユキ(HiGE)、鹿島達也、有江嘉典)を迎えて制作された20thアルバム『STROLL AND ROLL』を発売した。本アルバムより山中が主宰するDELICIOUS LABELに移籍し、アルバムの販売元は古巣のキングレコードに事実上復帰した。
2017年3月、再びオルタナティブロックに回帰した21stアルバム『NOOK IN THE BRAIN』を発売した。同年11月から12月にかけて『RETURN TO THIRD MOVEMENT! Vol.1』としてアルバム『Please Mr. Lostman』『LITTLE BUSTERS』収録の全楽曲の再現ライブが行われ、同時にその2枚のバンド初のアナログ盤が発売された。
2018年5月、『RETURN TO THIRD MOVEMENT! Vol.2』としてアルバム『RUNNERS HIGH』『HAPPY BIVOUAC』収録の全楽曲の再現ライブが行われ、同時に2枚のアルバムのアナログ盤も発売された。9月、通算22枚目のアルバム『REBROADCAST』が発売され、同年11月から翌年3月にかけて『REBROADCAST TOUR』が開催される。また、同年公開されたアニメーション映画『フリクリ』の続編に書き下ろし新曲を2曲提供し、東宝よりアルバム『FooL on CooL generation』をリリース。新曲のほか、12曲の旧曲が全て再レコーディングされ収録されている。
2018年9月より、「Thank you, my highlight」と冠した30周年企画がスタート。アルバム、ツアーの他、アメリカツアーのドキュメントやドキュメンタリーではない劇場用映画「王様になれ」が製作され、2019年9月に公開された。さらに2019年10月17日、結成30周年記念ライブ『LOSTMAN GO TO YOKOHAMA ARENA』が横浜アリーナにて開催された。
一連の30周年企画の際、山中はインタビュー上で「ピロウズはロングバケーションに入る」という主旨の発言をしており[28]、2019年10月9日発売のシングル『Happy Go Ducky!』以降新譜のリリースは途絶える[注釈 5]。2021年より前述の『RETURN TO THIRD MOVEMENT!』ツアーの第三弾、2022年にはツアー第四弾を精力的に展開する。
2024年9月16日、結成35周年記念ライブ『ABOUT A ROCK’NROLL BAND』を豊洲 PITにて開催した。同年11月2日には5年ぶりとなる新曲を収録したリミテッドEP『Blank』をリリースし、その同日からライブツアー『LOSTMAN GO TO CITY 2024-25』を行う。
2025年2月1日、前日1月31日の『LOSTMAN GO TO CITY 2024-25』KT Zepp Yokohama公演をもって3人での活動を終了し解散したことを報告する[4]。この公演が事実上のラストライブとなった。
メンバー
各メンバーの個別活動についてはそれぞれの記事を参照のこと。
解散時のメンバー
山中さわお (やまなか さわお)
ボーカル、ギター担当。the pillowsのリーダーであり、ほぼすべての楽曲の作詞作曲やツアーグッズのデザインなども担当。
真鍋吉明 (まなべ よしあき)
ギター担当。レコーディングの際にはミキシングにも参加する。
佐藤シンイチロウ (さとう しんいちろう)
ドラムス担当。
過去のメンバー
上田ケンジ (うえだ けんじ)
ベース担当。結成時から1993年まで在籍。脱退までリーダーを務めた。
解散時のサポートメンバー
宮川トモユキ(みやかわ ともゆき)
ベース担当。HiGEのメンバー。
安西卓丸 (あんざい たくまる)
ベース担当。ex.ふくろうず。
過去のサポートメンバー
鹿島達也 (かしま たつや、1962年8月20日 - )
ex.SUPER BAD、てつ100%。ベース担当。1994年 - 1999年、2015年。東京都出身。
鈴木淳 (すずき じゅん)
ベース担当。ex.THE CHEWINGGUM WEEKEND。1999年から2015年まで参加。愛称はじゅん。
有江嘉典 (ありえよしのり)
ベース担当。VOLA & THE ORIENTAL MACHINEのメンバー。2015年から2024年まで参加。