2001年度本国リマスターとなります。
音の輪郭が角張る、低音の強調等々幾分現代的な音像の感がございますが、非常に良心的な音質となっております。
内容は言わずもがな。
ラインナップは全盛期名手揃い。
Robbie Robertson(G)、故Levon Helm(Ds、G、B、Vo、Contrabass)、故Rick Danko(B、Accoustic G、Vo)、Garth Hudson(Key、Syn、Accordion、Sax)、故Richard Manuel(Electric & Accoustic P、Vo、Ds)となります。
プロデュースはバンド自身。
1973年3月~6月米国・ニューヨーク州ウッドストック”Bearsville Sound Studios”、カリフォルニア州ハリウッド”Capital Studios”での制作となります。
そもそも非常に長いキャリアを誇るバンド。
1957年後期にLevon Helmが基礎R&R系ミュージシャンRoger Hawkinsのバックバンド”The Hawks”に参加した事から始まります。
紆余曲折を経て1961年末までにRobbie Robertson/Rick Danko/Richard Manuel/Garth Hudsonが揃い活動するも、1963年後半に独立。
バンド名を変えシングル楽曲を制作リリースするも鳴かず飛ばず。
また、かのルーツ系ブルーズ・ミュージシャン”Sonny Boy Williamson”(Eric Clapton期The Yardbirdsとの共演で御馴染み)との邂逅を経るも活動叶わず、Sonny Boy Williamsonは死去の憂き目に遭う事となります。
されどアルバム”Highway 61 Revisited”で”Electric系フォーク”という新分野を指向したかの”Bob Dylan”と1965年に邂逅。
ツアーのバックバンドを務め、”Bob Dylan & The Band”の名称を得る事となります。
賛否両論を呼んだツアー後に作品制作に入るものの思う様な成果は得られず、Levon Helmが一時脱退。
Robbie Robertson/Rick Danko参加でBob Dylan新作”Blonde on Blonde”を制作し、ツアーに出、反響を得るものの賛否両論。
その後1966年7月29日にBob Dylanはバイク事故を起こし、活動停止。米国ニューヨーク”Woodstock”で静養する事となります。
その後”The Hawks”として活動するものの再びBob Dylanからの制作参加要請を受け、”Woodstock”に拠点を構える事となります(御存知!かの”Big Pink”)。
その後Levon Helmが復帰。1967年10月までBob Dylanとの制作を続ける最中、マネージャーがレコード会社を接触。契約を締結する事となります。
”かのBob Dylanのバックバンド”という実績から契約。
当時は仮に”Cracker”というバンド名で契約致しますが既に”Bob Dylan & the Band”という名声を博しており、そこから”The Band”(笑)と名称を変更する事となります..........何かねぇ..............
Bob Dylanとの制作で既に録音機材を本拠地”Big Pink”に持ち込んでいた事があり、1968年初頭に制作。
L.A.の”Capital Studios”で追加録音とミキシングを行い、1968年7月1日にデビュー作”Music from Big Pink”をリリースする事となります。
当時はロック音楽の多様性という時代。
演奏・創作エゴを全面に出した時代という事があり、The Bandの指向する”想像された米国ルーツ音楽のロック化”は非常に異色のもの。
セールスは思う様に揚げられる事が無く、後にRobbie Robertson自身も1968年にリリースされた不思議な作品と自嘲する有り様。
されど、ミュージシャンを中心に根強い支持が集まる事となります。
(演奏エゴに疲れ、更には執拗な批判に晒された当時”Cream”のかのEric Clapton曰く「The Bandのメンバーになりたかった」とも......)
ツアーも絡み1968年~1969年に掛け、新作を制作。
されどニューヨークでの制作が上手くいかず、L.A.へ移行。”Poolhouse”という住居に機材を持ち込み再び制作に打ち込む事となります。
「前作あっての今作の音楽性」という感があり前作との二枚組と捉えられるもので、よりベーシックな感のある音楽性。
また(Robbie Robertson以外の)マルチプレーヤー的な感のあるメンバーの特徴を生かした楽曲が目立つもの。
1969年9月22日にようやくリリースすればセールス/チャートアクションが大きく前作を上回り、ツアーも大好評。
当時は公民権運動でのヒスパニック/黒人の台頭そして”Woodstock”それに絡むSantanaの登場等があるもののベトナム戦争からくる厭世感やキング牧師の暗殺等々重なり、
The Beatles解散や時代を象徴したかのJimi Hendrix/Janis Joplin/Jim Morrison等が後に死去そしてJefferson Airplaneのビジネスに絡む醜い騒動。
(かのJames Taylorの名曲”Fire and Rain”のモチーフでございますが.......................)
時代を象徴するイベントが終わり、祭りの後の虚無感という時代がやってまいります...............................
またJames TaylorやCarol King等々内省的な歌詞を紡ぐS&SWの登場・台頭という時代が変化しつつある頃。
The Bandの音楽性に共鳴する聴衆が急激に増えていく事となります.....................................................
アメリカ保守回帰という中で今度は大反響を呼び、バンドは順風満帆となります。
されど、この辺りからRobbie RobertsonとLevon Helm等他のメンバーとの作曲クレジット等に絡み確執が始まる事となります。
期待高まる新作制作に乗り出しますが、バンド自身は本拠地”Woodstock”の”Woodstock Playhouse”にてライヴ盤制作を指向するも、かの”Woodstock”イベントでの大混乱を危惧した地元住民が大反対の憂き目に。
会場使用は同じもののライヴ盤制作は中止。ライヴ形式によるオリジナル作品制作に移行する事となります。
されど、作品制作における会場音響の問題そして以前とは異なる感のある制作エンジニア”Todd Rundgren”の存在。成功によるミュージシャン特有の私生活問題等々が頭を擡げる事となり、
またRobbie Robertsonと故Levon Helmというバンド内の確執が露呈化。
バンドに暗い影を落とす事となります..................
何とか録音を終わらせるもののミキシングを巡り、Robbie RobertsonはTodd Rundgren、Levon Helm他四名はGlyn Jonesを推す事となり、
Todd Rundgrenは一計を案ずる事となり制作テープを以てロンドンに向かい、Glyn Jonesとそれぞれミキシングを行う事となります。
そして二つのミキシングテープを以てTodd Rundgrenは帰米。バンドに選択を楽曲毎にさせるものの、バンドの意向で楽曲によっては再ミキシングを行う事となります。
ややこしい過程を経てようやく完成に漕ぎ着けリリース。前作の成功により相当期待が高まっていた事もあり、リリース後はチャートアクションは好調となります。
かの伝説の”Festival Express Tour”参加を含めたツアーも好評となりますが今作の音響を含めた洗練度や音造りの有り方が違和感を齎した感があり、セールス的には以前より下回る事となります..............
また作曲クレジット等の創作貢献に対する不満がバンド内に露呈してきており、バンドの活動に徐々に暗い影を投げ掛けていく中、新作制作に乗り出し、
かのVan Morrison、Allan Toursaint等を迎え前作路線を引き継ぎつつも初期回帰した感のある作品に仕上げリリース後はツアーに勤しむものの、以前程のチャートアクション・セールスは記録出来ず。
バンド内に微妙な雰囲気が流れる中、起死回生とRobbie Robertsonは以前中止となったライヴ盤制作を再企画。
作品参加のAllan Toussaintアレンジのブラス隊を迎えた特別年越し公演を更に企画し、その制作に乗り出す事となります......................
この次作ライヴ盤はRobbie Robertson曰くの「音響的に不満」な出来となりましたが、結構なチャートアクション・セールスを記録。
バンドの留飲を下げる事となります。
そして、新作制作に臨む............という面倒な経緯がございます............................................
さて今作。
制作に臨むもののRobbie Robertsonは創作不振。また作曲クレジット等の問題を巡って対立が続いていた事もあり、制作は困難を極める事となります。
そこで苦肉の策として「カバー楽曲集」制作という案が持ち上がった感がございます。
そもそもがバンド創成期~初期に演奏したカバー楽曲を中心としたものでございます。
非常に興味深い選曲で「想像された米国ルーツ音楽のロック化」という感のあるThe Bandのバンドコンセプトが窺えるものでございます。
案外”The Band”らしいアレンジが為されておりますが、中期~後期へと音楽性が移行していく事が分かる音楽性がミソ。
原曲提供は誰であれメンバー誰もがアイデアを持ち寄り貢献したというバンドによる貢献という感がございますが、
(Robbie Robertson除く)Levon Helm他四名とすれば「元ネタ提供がRobbie Robertsonであろうが誰であろうが我々が創作関与しても同じ」というバンド内の諦めに近い感情が窺え、
創作意欲が薄れつつある事が窺える感がございます...................
質は高いものの初期の様なバンド感的な意欲が薄れつつあるもので、(音造りを含め)後のThe Bandメンバーそれぞれのソロ作に通じる面がございます。
(音造りが後のRobbie Robertsonのソロ作に通じるものがございますが、Robbie Robertsonのみに”The Band”を語れず、がミソでございます...............)
本編共々地に着いた音楽性と音造りで虚構を排した所は同じでございますが、バンドが峠を越え下り坂に入った感が窺えるものでもございます.....................
ボーナス楽曲は6曲。
カバー楽曲5曲にRobbie Robertson作オリジナル楽曲1曲となります。
そもそもの嘗てのレパートリーが結構多いものでそこから選曲を絞り込み、更に当時のアナログ盤時間制限の為に更に10曲と絞り込んだという感がございます。
バンドのルーツを知る上として本編共々非常に興味深い選曲ではございます........................
バンド側としては二枚組としてのリリースも視野に入れていた感がございますが、レコード会社の却下やバンドとしても(苦肉の策とは言え)趣味色濃いものとあってバンド一連の作品としてのリリースには難があり、
一枚組に編集という感がございます。
Robbie Robertson作のオリジナル楽曲でございますが................
初期セッションでオリジナル楽曲として形になったのがこの楽曲一つ、という感がございます。
正直、作品本編に加えても良かったのでは?という感。
事実、後にBob Dylanとのツアーでのライヴ盤で取り上げられたという事もあり隠れ名曲の感がございますが、正直録音・ミキシングが上手くいかなかった感があり躍動感や立体感が弱いもの。
今作制作過程で制作スタジオを途中で変更した事、そして後にThe Band自身の本格的スタジオ”Shangrila Studios”設計・建設に向かう事が窺える感がございます............................
その後のバンドの状況は良くないもので、リリース後はセールス不振もありツアーは行われず。されど1973年7月”The Summer Jam at Watkins Glen”という大規模フェスティバルに出演と相成ります。
その楽屋に訪ねてきたBob Dylanが本格的復帰に向け”The Band”側に協力を依頼し、承諾。
Bob Dylan復帰作”Planet Wave”制作に乗り出し、ツアーにも同行する事となります。
”The Band”はそもそもがBob Dylanのバックバンドとして登場し、名声を得たバンド。
Bob Dylanとの当時のセッションがお蔵入りした事でBob Dylan共にやり残した事があると、この企画が持ち上がった感がございます。
この制作・ツアーそして新たな本拠地”Shangri-la Studios”を設けるに当たり、”Planet Wave”制作エンジニアBob Fraboniを設計に加わらせ、
原点回帰と再生・再出発を”The Band”が狙った感がございます.................................
正直The Bandはカナダ出身の4名とテキサス州出身のLevon Helmのバンド。
「想像された米国ルーツ音楽のロック化」という感のあるバンドでございます。
アメリカルーツ音楽系ロック(The Bandの四名はカナダ出身でございますが...........................)興隆一時代のみならず、
当時のアメリカならではの音楽性の感がある”サザン・ロック”ムーヴメントの勃興・興隆・終焉をも象徴する感がございます。
この機会に是非。
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